Fight for the eight

エイトのために戦う

生きる

 

 

4月14日。不穏な記事が出回りました。その中にある言葉を、私は一つも信じていませんでした。動揺する人、すっかり信じ込んでいる人、嘘だと言いながらも心配している人。何も感じませんでした。そんなわけないと強がるわけでもなく、ただ無感情でした。なぜなら、今までとこれからの関ジャニ∞に絶対的な確信しかなかったからです。全ての環境は整って、さあこれからもっともっと大きくなって、15年、20年、25年と、時を重ねていくのだと。見たことのない景色に立つ彼らを見せてくれるのだと。

だから、その翌日。悪魔のような一つのメールが来た朝に、私は一度死にました。

 

その日私は11時を、たくさんの人の日常の中で迎えました。ずっと手の震えが止まりませんでした。電車の中、記者会見の映像をツイッターで見ました。そのとき一番に眼に入ったのは、目を真っ赤に腫らして唇を痛々しいほどに噛み締める横山さんでした。その瞬間、ああ、終わったんだ。と思いました。

家について、扉を閉めて、手を洗って。真っ黒なスーツを纏った七人の姿がフラッシュバックしたとき、やっと泣けました。うわあん、うわあん、と子供みたいな声を上げて、泣きました。すばるくんがいなくなっちゃう。行かないで。行かないでよすばるくん。置いてかないで、だってまだ、まだたくさんあるのに。これからたくさん始まるのに。

 

 

 

 

私が関ジャニを好きになって、ちょうど一年が経ちました。地元から上京して、寂しい一人暮らしを笑顔にさせてくれたのが関ジャニでした。エイターの友人が喜んで貸してくれた十祭と元気が出るLIVEを何度も見て、笑って、泣きました。大好きになりました。エイターになりたいと思いました。

 

私の知らない過去の関ジャニに色んなことがあったことを知りました。それはすべてではないし、間違っていることもあるかもしれないけれど、でも出来る限り彼らを追って、もうそんな不安もないんだと思いました。微塵も不和はない。あとは前に進むだけだ。大丈夫なんだと勝手に思っていました。ふらふら何処かへ行ってしまいそうな彼のことを必死で引き留める必要もないんだと。

 

すばるくんのために、関ジャニのために、みんなで楽しむために、手に入れた音楽という武器。音楽の神様がいるのなら、ねえ連れて行かないで。すばるくんを連れて行かないで。すばるくんを、関ジャニ渋谷すばるを。僕たちの一番強い光を。でもきっと、音楽の神様なんかじゃなくて、彼自身が、遠くへ一人行くことを決めたのだと分かっています。だから、ヒナが言ったような目をしていたのでしょう。

 

遠くへ行くのなら、行ってきますをするのならおかえりと言わせてほしかった。何年かかってもいいから、帰ってきてほしかった。それでもだめなら、みんな連れて行ってほしかった。日本じゃなくてもいい。近くにいなくてもいい。ライブや舞台やイベントやテレビにラジオ、全部かなぐり捨ててでもいいから。関ジャニ∞じゃなくてもいいから。だから、ずっと、ずっと、死ぬまでずっと7人みんなでいてほしかった。私たちを置いて行ってもいいから、関ジャニを、あなたの大切な友達6人をあなただけの6人してほしかった。6人のあなただけでいてほしかった。だって、一度行ってらっしゃいと言ったら、もう二度とおかえりなんて言えないから。ばいばいって言ったら、もう電話は掛け直せないから。

 

私は七人の関ジャニ∞の姿を、関ジャニ∞渋谷すばるの歌声を、エイターという彼の咆哮を直接聞くことなく死んでいきます。だから、私の人生は一度終わったと思うのです。大袈裟だって、重いって、自分でも思います。そしてこれはとてもひどい言い方だと思いますが、関ジャニ∞も私の中では一度死んだのだと思います。とっても悪い言葉です。怖かったです。寂しい、悲しい、という感情よりももっと、怖いと思いました。

 

すばるくんがいない関ジャニ∞。夏のコンサート。すばるくんの心情。6人の気持ち。初めてすばるくんが「辞める」と言っただろう日のこと。それを聞いた6人の表情、言葉。話し合いのこと。会見にいなかった章ちゃんのこと。何より恐ろしかったのは、これから、6人の関ジャニ∞が普通になっていくこと。すばるくんがいなくなっても、日々が流れていくこと。私たちは生きなければならないこと。例えばそれは、自分の死後、自分の魂はどうなってしまうのか。自分の意識はどこに行くのかと想像する、そんなブラックホールに吸い込まれるような恐怖と同じでした。14歳のとき大好きな祖父が亡くなって、眠っていた祖父が骨となって現れたときの、初めて人の死を体感したときの恐怖と同じでした。

 

 

関ジャニ∞のことを考えるたびに胸が張り裂けそうで、でもその辛さから逃げて情報をシャットダウンするのは余計に怖かったです。生活の中でほんの少しでも関ジャニのことを考えない時間が恐ろしかった。だから、今はずっと関ジャニの曲だけ聞いています。元気が出るSONG、BJ、イエローパンジーストリート、侍唄、Your WURLITZER、無限大、background、All is well、ハダカ、Answer、渇いた花、記憶、生きろ。全部、確かな関ジャニの未来が歌われていました。でも今は、あなたを思う歌にしか聞こえないのです。

 

 

 

すばるくん。20年以上の友達を手放して追い求める音楽ってなに?すばるくんが欲しい音楽ってなに?証明してくれよ。関ジャニ∞を置いてでも欲しかったもの、見せてくれよ。これからもっと大きくなる関ジャニを見ててくれよ。そこにいたかったって思えよ。ほんのちょっとでもいい。離したくなかったって思ってくれ。でも、そんな関ジャニを見たらきっとすばるくんは、自分が居なくても大丈夫、なんて思うだろうか。それは絶対に、違うからな。

 

どうしたらいい。これから先あなたがいる関ジャニの歌を聞いて、ぽっかり空いた気持ちをどうしたらいい。画面の中でだけ、エイターと叫ぶあなたを見てどうしたらいい。

歌っていて。真ん中で。後ろから見るあなたの歌う背中を見るのが大好きだと言った人の目の前を、空けないで。そこに立っていて、歌っていて。

 

やっぱり私も、すばるくんのこと嫌いになれないひとりです。

会見のときの写真を見ました。いい顔してるね。うん。かっこいいね、すばるくん。

 

 

 

ソロコンサートで言った言葉

このクソみたいな時代を生きていきましょう。なるべく多く笑って。

あなたが居なければ笑うことも出来ないのに。そんなこと言ったらすばるくんはきっと、「あいつらがおるやんか」って言うのでしょうか。あいつらが笑わせてくれるやん、って。

                                       

 

「誰でもないあなたを生きて」

ああ、なんて言葉。呪いのようですね。俺が居なくても生きていけって?上等です。あなたがそう歌うなら。あなたがどこかで生きていて、歌っているのなら。私はまだ生きます。