Fight for the eight

エイトのために戦う

早く会いたい

 


すばるくんが辞めると言った瞬間は、呆然として訳がわからなくて少しずつ悲しくて寂しかった。これを書いている三日経った今、渦巻くのは6人への不安とすばるくんへの疑問。


二十年もの間彼の隣を保っていたヨコヒナの思いを想像すると胸が張り裂けそうだし、会見にいなかった章ちゃんが今どうしているか不安だし、ふんわり笑うまるちゃんが痛々しくて、まさか同じように亮ちゃんが笑うとは思っていなかった。


でも何故か今一番気掛かりなのは大倉くんのこと。エイタメのMCで章ちゃんから始まった、コンサート中見えるどんな景色が好きかという話で、演奏しているみんなの後ろ姿と、それ越しに見える客席の景色が好きだと言った大倉くん。11時に出たコメントでも「僕は、彼の後ろでドラムを叩くことが好きでした」と始まった。すばるくんの死刑宣告のような言葉から始まり、亮ちゃん、丸ちゃん、章ちゃんと続いて、その言葉が目に入ったとき、一瞬で私は泣いてしまった。四つ続く「好きでした」。その後にひらがなで書く「かなしい」「さみしい」という言葉が、会見の「すばるくんのことを嫌いになれなかった」という言葉の中に見え隠れしてまたどうしようもない気持ちになった。

 

その日友人と電話した時、真ん中がいなくなった関ジャニ∞を想像した。その時私はなんとなく、バンドをやり続けても真ん中は空けておいてほしいな、なんて口にした。すばるくんが立っていた真ん中はすばるくんだけのものにしてほしいなんて思った。でも次の日、ああそれじゃダメだと気付いた。だって、大倉くんの目の前が空っぽじゃないか。


尊敬する人が命を削って死ぬ気で歌っていた背中が、自分たちが奏でる音の中にいた大好きな背中が、前を向いてももういない。そんな余りに見通しの良い景色の恐怖は計り知れない。これからドラムを叩く時大倉くんは何を思うだろうか。コンサートのたび、テレビに出るたび。文字通り目の前から勝手に消えた彼を思って、何を感じるだろう。ドラムセットに座っても二度と見えない大好きな人。


亮ちゃんがセンターに立つと知って、お願いだ、と思った。亮ちゃんにとっても尊敬する先輩が立っていた真ん中で歌うプレッシャーは余りある。絶対的な存在がいたその場所にこれから立ち続けなければならない恐怖。全力で大きな声を出すから。精一杯の拍手を送るから。全てをかけて応援するから、だからお願い。亮ちゃん、そこで歌ってください。真ん中で歌ってください。横にはまるちゃんも章ちゃんもいます。その後ろではお兄ちゃんたちがちゃんと見ています。だからお願い、関ジャニ∞を頼む。関ジャニ∞の歌を頼む。大倉くん、目の前の背中を見てくれ。頼むから、そこにいない遠くに行った背中を追ってくれるな。これから目の前で歌う背中を愛してくれ。


すばるくんへ
聞きたいことがたくさんあります。嫌や、とはもう言いません。言ってもどうにもならないから。でも、あなたへの何で?は尽きません。すばるくんは、自分が追い求める音楽を、きっと海外にあるであろうそれを手に入れて、咀嚼して、それを関ジャニ∞に還元しようとは思いませんでしたか。もしかしたら思ったけれど出来なかったのかもしれない。すばるくんが求める音楽は、関ジャニ∞にいてはないものでしたか?それともアイドルでいてはないものでしたか?一年じゃあ足りないなら何年かかっても良いのに、おかえりと言えたらそれで十分なのに、それすらも甘えと思っているのかもしれない。どうかアイドルにはないものであると願います。みんなを連れては行けないから、だから一人で行くのだと願います。関ジャニ∞になかったなんて思いたくない。

 

すばるくんはこれから海の向こうで手に入れた音楽をどうするんでしょうか。それって一人で持て余したりしませんか。遠くで歌う6人にほんの少しあげたくなったりしませんか。この歌を、6人が歌ったらどうなるんだろうと思いませんか。6人のことを思って音楽を作ったりは、しませんよね。しない気がします。何となく。これからの人生を音楽で全うしたいと言いましたね。その音楽って何ですか。すばるくんが欲しい音楽って何ですか。分かりません。すばるくんが何も分かりません。分かっていたつもりでした。安心していました。伸び伸びと楽しそうに歌うあなたを見て安心していた自分が恥ずかしくて情けなくて悔しいです。

 

すばるくんが関ジャニ∞の文字が書かれたTシャツ握りしめて一人で歌っていたとき、もしかしたら自分にそう言い聞かせてたのかなと今では思います。大好きだからというのも嘘じゃないと思うけど、そう言い聞かせないと溢れてしまいそうだったのかな。音楽を探しに行きたいという思いに蓋をしていたのかな。小さくてもずっと心の何処かにあったんだろうな。どうして今それがこんなに大きくなって溢れてしまったのだろう。15年だからかな、36歳だからかな。もう音楽という武器で強くなった関ジャニは自分がいなくても大丈夫と思ったのかな。

 

結局あなたは、6人ではなく、関ジャニ∞ではなく、自分の欲しい音楽を選びました。

 

すばるくんがいなくて大丈夫な人間なんてこの世に一人もいないのに。みんなあなたの歌声が聴きたくて、あなたにいてほしくて頑張ったのに。あんなに唇を噛み締めていたヨコから、もう家族を奪わないでくれよ。


会見の時の、真っ直ぐ前を見詰めたあなたの顔。覚悟を決めた男の顔、かっこいいね、なんて思ってた。でも今は、怖いです。すばるくんが恐ろしい。あの時のすばるくんは、音楽に翻弄されて真っ赤なコードに雁字搦めになっていたあの頃の眼と似ているような気がします。やっぱり、赤いコードからも、赤い卵からも、あなたのことを誰も連れ出すことは出来なかったのでしょうか。


6人へ
遠くを見てくれるなよ。ここにある、自分たちの周りにいる仲間と手を繋いでくれ。もうここにはいない真っ赤な背中に手を伸ばすことはしないでくれよ。思い出してもいい、忘れろなんて出来ない、でも決して追いかけないで。もしも赤いマイクコードを引っ張るときは、全員で命綱付けて、誰一人落ちないように、みんなで死ぬ覚悟で、追いかけて行ってください。

 

 

生きる

 

 

4月14日。不穏な記事が出回りました。その中にある言葉を、私は一つも信じていませんでした。動揺する人、すっかり信じ込んでいる人、嘘だと言いながらも心配している人。何も感じませんでした。そんなわけないと強がるわけでもなく、ただ無感情でした。なぜなら、今までとこれからの関ジャニ∞に絶対的な確信しかなかったからです。全ての環境は整って、さあこれからもっともっと大きくなって、15年、20年、25年と、時を重ねていくのだと。見たことのない景色に立つ彼らを見せてくれるのだと。

だから、その翌日。悪魔のような一つのメールが来た朝に、私は一度死にました。

 

その日私は11時を、たくさんの人の日常の中で迎えました。ずっと手の震えが止まりませんでした。電車の中、記者会見の映像をツイッターで見ました。そのとき一番に眼に入ったのは、目を真っ赤に腫らして唇を痛々しいほどに噛み締める横山さんでした。その瞬間、ああ、終わったんだ。と思いました。

家について、扉を閉めて、手を洗って。真っ黒なスーツを纏った七人の姿がフラッシュバックしたとき、やっと泣けました。うわあん、うわあん、と子供みたいな声を上げて、泣きました。すばるくんがいなくなっちゃう。行かないで。行かないでよすばるくん。置いてかないで、だってまだ、まだたくさんあるのに。これからたくさん始まるのに。

 

 

 

 

私が関ジャニを好きになって、ちょうど一年が経ちました。地元から上京して、寂しい一人暮らしを笑顔にさせてくれたのが関ジャニでした。エイターの友人が喜んで貸してくれた十祭と元気が出るLIVEを何度も見て、笑って、泣きました。大好きになりました。エイターになりたいと思いました。

 

私の知らない過去の関ジャニに色んなことがあったことを知りました。それはすべてではないし、間違っていることもあるかもしれないけれど、でも出来る限り彼らを追って、もうそんな不安もないんだと思いました。微塵も不和はない。あとは前に進むだけだ。大丈夫なんだと勝手に思っていました。ふらふら何処かへ行ってしまいそうな彼のことを必死で引き留める必要もないんだと。

 

すばるくんのために、関ジャニのために、みんなで楽しむために、手に入れた音楽という武器。音楽の神様がいるのなら、ねえ連れて行かないで。すばるくんを連れて行かないで。すばるくんを、関ジャニ渋谷すばるを。僕たちの一番強い光を。でもきっと、音楽の神様なんかじゃなくて、彼自身が、遠くへ一人行くことを決めたのだと分かっています。だから、ヒナが言ったような目をしていたのでしょう。

 

遠くへ行くのなら、行ってきますをするのならおかえりと言わせてほしかった。何年かかってもいいから、帰ってきてほしかった。それでもだめなら、みんな連れて行ってほしかった。日本じゃなくてもいい。近くにいなくてもいい。ライブや舞台やイベントやテレビにラジオ、全部かなぐり捨ててでもいいから。関ジャニ∞じゃなくてもいいから。だから、ずっと、ずっと、死ぬまでずっと7人みんなでいてほしかった。私たちを置いて行ってもいいから、関ジャニを、あなたの大切な友達6人をあなただけの6人してほしかった。6人のあなただけでいてほしかった。だって、一度行ってらっしゃいと言ったら、もう二度とおかえりなんて言えないから。ばいばいって言ったら、もう電話は掛け直せないから。

 

私は七人の関ジャニ∞の姿を、関ジャニ∞渋谷すばるの歌声を、エイターという彼の咆哮を直接聞くことなく死んでいきます。だから、私の人生は一度終わったと思うのです。大袈裟だって、重いって、自分でも思います。そしてこれはとてもひどい言い方だと思いますが、関ジャニ∞も私の中では一度死んだのだと思います。とっても悪い言葉です。怖かったです。寂しい、悲しい、という感情よりももっと、怖いと思いました。

 

すばるくんがいない関ジャニ∞。夏のコンサート。すばるくんの心情。6人の気持ち。初めてすばるくんが「辞める」と言っただろう日のこと。それを聞いた6人の表情、言葉。話し合いのこと。会見にいなかった章ちゃんのこと。何より恐ろしかったのは、これから、6人の関ジャニ∞が普通になっていくこと。すばるくんがいなくなっても、日々が流れていくこと。私たちは生きなければならないこと。例えばそれは、自分の死後、自分の魂はどうなってしまうのか。自分の意識はどこに行くのかと想像する、そんなブラックホールに吸い込まれるような恐怖と同じでした。14歳のとき大好きな祖父が亡くなって、眠っていた祖父が骨となって現れたときの、初めて人の死を体感したときの恐怖と同じでした。

 

 

関ジャニ∞のことを考えるたびに胸が張り裂けそうで、でもその辛さから逃げて情報をシャットダウンするのは余計に怖かったです。生活の中でほんの少しでも関ジャニのことを考えない時間が恐ろしかった。だから、今はずっと関ジャニの曲だけ聞いています。元気が出るSONG、BJ、イエローパンジーストリート、侍唄、Your WURLITZER、無限大、background、All is well、ハダカ、Answer、渇いた花、記憶、生きろ。全部、確かな関ジャニの未来が歌われていました。でも今は、あなたを思う歌にしか聞こえないのです。

 

 

 

すばるくん。20年以上の友達を手放して追い求める音楽ってなに?すばるくんが欲しい音楽ってなに?証明してくれよ。関ジャニ∞を置いてでも欲しかったもの、見せてくれよ。これからもっと大きくなる関ジャニを見ててくれよ。そこにいたかったって思えよ。ほんのちょっとでもいい。離したくなかったって思ってくれ。でも、そんな関ジャニを見たらきっとすばるくんは、自分が居なくても大丈夫、なんて思うだろうか。それは絶対に、違うからな。

 

どうしたらいい。これから先あなたがいる関ジャニの歌を聞いて、ぽっかり空いた気持ちをどうしたらいい。画面の中でだけ、エイターと叫ぶあなたを見てどうしたらいい。

歌っていて。真ん中で。後ろから見るあなたの歌う背中を見るのが大好きだと言った人の目の前を、空けないで。そこに立っていて、歌っていて。

 

やっぱり私も、すばるくんのこと嫌いになれないひとりです。

会見のときの写真を見ました。いい顔してるね。うん。かっこいいね、すばるくん。

 

 

 

ソロコンサートで言った言葉

このクソみたいな時代を生きていきましょう。なるべく多く笑って。

あなたが居なければ笑うことも出来ないのに。そんなこと言ったらすばるくんはきっと、「あいつらがおるやんか」って言うのでしょうか。あいつらが笑わせてくれるやん、って。

                                       

 

「誰でもないあなたを生きて」

ああ、なんて言葉。呪いのようですね。俺が居なくても生きていけって?上等です。あなたがそう歌うなら。あなたがどこかで生きていて、歌っているのなら。私はまだ生きます。